『くまもと伝統工芸品 復興一途 ~くまもとから会いにきました。~』<初開催>
タイトル=くまもと伝統工芸品 復興一途
会 期=2024年9月25日(水)~10月1日(火) 10時~19時 ※最終日は17時閉場
会 場=大丸京都店 4階 リビング売場「暦2」(こよみごよみ)
※各工房の作家が来場予定ではございますが、やむを得ない事情で予告なく中止・変更になる場合がございます。
※鄉土玩具 <住岡郷土玩具製作所>作家の来場はございません。
熊本県には、豊かな自然・職人の技・人々の暮らしの知恵から生まれ、育まれてきた暮らしのなかで使われる工芸品が今も多く残っています。
作り手と使い手のコミュニケーションからつくられる工芸品は、暮らしのさまざまなシーンに豊かな表情を与えてくれます。
その製造には多くの職人たちの手による熟練した技術が結集されています。
熊本が誇る逸品に出会い、触れて、この機会に身近に感じてください。
山鹿灯籠
木や金具は一切使わず和紙と少量の糊だけで立体的に組み上げる。
曲線部分はのりしろが無く和紙の厚みだけで貼り合わせる。
坂本 ゆかり(山鹿市)
1969年、熊本市益城町生まれ。第二高等学校美術科卒業。ご主人のご実家である山鹿に移住後、中島灯籠師に師事し8年間の修行を経て2017年に灯籠師に。現在は親子で製作に取り組む。
伝統技術で込めるリアルな感性
地域が喜ぶ作品づくり
和紙の原材料である楮の栽培及び紙漉きも全盛期であった江戸時代、山鹿の繁栄を支えた「旦那衆」とよばれる実業家によって和紙工芸による技の競り合いから和紙工芸の技術が向上。その後、藩主へのもてなしや神事の奉納品、観光資源として発展しました。その結果、現在の高度な技術を要する和紙工芸「山鹿灯籠」が確立したといわれています。「製作モチーフになるものは、実際に足を運び、リアルで感じたことを作品に込めること。そして作品を見た方が見て喜んでくれること。それがやりがい。」と語るゆかりさん。600年続く、地域の方々が奉納する奉納灯籠だからこそ、灯籠師は地域や観光客が喜ぶ作品をと、愛情豊かに日々製作しています。
FAKE CUP
壊れていくもの、崩れていくもの、錆びていくもの、朽ちていくものの中にある“美”を焼き物によって表現。
左端の作品は、ブリキのバケツをオマージュして制作したもの。
右側2作品は、手製の革製品のバッグにインスピレーションを受け、無造作に打ち込まれていたリベットの並びなども再現しています。
許斐良助(上天草市 )
1958年、天草市生まれ。
九州産業大学芸術学部卒業後、天草市の丸尾焼で修業。
その後、熊本市の山幸窯の山本幸一氏のもとで学び、1992年に故郷の維和島(上天草市)で開窯。
誰にも真似できない
唯一無二のものを生み出す
大学で油彩画を専攻し、帰郷後、小・中学校の美術教師として勤めていた許斐さん。しかし、次第にろくろを回す魅力に取り憑かれ、陶芸の道へ進みました。「人には真似できないものを生み出したい。不思議な作品を作りたい」という思いを抱き続け、唯一無二の個性豊かな作品を作り出しています。また、器だけでなく、オブジェなどの造形物も制作。遊び心が垣間見えるユニークなものや、見る側に何かを訴えかけるような作品の数々は、陶芸の枠を越え、現代アート作品にも通じるメッセージ性を持っています。創作活動と並行して陶芸教室も開催しており、県内外から多数の陶芸愛好家が窯を訪れます。
仙扇
青墨(左)と無地(右)。来民渋うちわの基本形の一つであり、栗川商店の定番商品。
大きさは25cm×37cmと2番目に大きいサイズですが、手に持つと軽く、扇ぎ疲れしにくく感じられます。和紙を墨で丁寧に染め仕上げに柿渋を塗った青墨は、その名の通り青みがかったクールな佇まい。
栗川 恭平(山鹿市)
1990年、福岡県福津市生まれ。
2019年、結婚を期に婿入りし、理学療法士から転身して4代目・栗川亮一氏に師事。
栗川商店5代目として、製造から企画・販売・PRまでを行う。
伝統と革新が共存
熟練の技と素材が活きる渋うちわ
400年以上の歴史を持つ来民渋うちわは、肥後藩主・細川忠利公にも奨励され、真竹と和紙の産地であった来民地域の主要産業となりました。竹の節を境にして持ち手と扇面を一体成型する製法は、熟練の技と素材を活かしたシンプルで美しいデザインが特徴です。防腐効果のある柿渋(自家製)を塗布することで、「100年持つ」と言われています。プラスチック製にはないサスティナビリティと、使うほどに深みが増す色合いが魅力。イラストレーターとのコラボレーションうちわは県外からの注文も多く、伝統と革新性を併せ持つ商品づくりに取り組んでいます。
アウトドアナイフ
「イグナイトナイフ」と名付けられたアウトドアナイフ。
イグナイトとは“火をつける、燃え上がらせる”という意味。その名の通り、「握った瞬間に男心に火をつけ、魂を燃え上がらせる」ようなナイフを目指しました。
パラコードが編み込まれた柄、ブレードの鎚目が無骨な雰囲気を醸し出します。
蓑毛 勇(人吉市)
1987年、人吉市生まれ。
熊本市内の高校を卒業後、父親から「(鍛冶屋は)継がなくてもいい」と言われ海上自衛隊に入隊。しかし、30歳を期に祖父・父に弟子入り。
10代目となる。
美しさと“錆びない”遊び心で
野鍛冶を次の世代へ
250年以前に創業した「蓑毛㊀鍛冶屋」。代々、野鍛冶(包丁、農具、山林刃物など)を手掛け、勇さんで10代目を数えます。鎌は使う人の意見を取り入れながら改良を重ね数種類あるほか、手打ち包丁は切れ味の良さと丈夫さが評判です。中には、40年来の利用者が、今も研ぎ直しに来て使い続けているとか。「(包丁は)毎日使っていればそんなに錆びるものではない」と勇さん。モットーは、「見た目の美しさと遊び心のあるものづくり」です。人吉クラフトパーク石野公園では、「マイ包丁づくり鍛冶体験」も開催(予約制)しています。
ステーショナリーナイフ
ロートアイアンの技術とアイデアで、伝統的な肥後守型小刀をステーショナリーナイフにアレンジ。
黒打ちの肥後守(写真左端)、柄の表面に真鍮や銅を溶着させたもの(写真左から2本目、3本目)や、ステンレスにエンボス加工(写真右から1本目、2本目)を施したものなど、目にも楽しい「Libra」の刻印が映える一品です。
樺山 明(あさぎり町)
1968年、球磨郡あさぎり町生まれ。
東京の専門学校を卒業後、建築設計事務所に勤務。30歳で帰郷し、父・五昭さんの跡を継ぎ3代目となる。
2000年、洋鍛冶部門「リブラ工房」を開設。
鉄と火を自在に操る
“鋼鉄のマエストロ”
東京の建築設計事務所で、住宅や店舗設計を行っていた明さんは、鉄製の門扉や階段の手すりなどを発注する側でした。実家は野鍛冶の工場でしたが、「ロートアイアンは作れないだろうか?」と跡を継ぐことにします。その後海外研修の機会を得て、イタリア・オルヴィエトの工房で鍛鉄の技術を習得。2000年に樺山鍛治工場の洋鍛冶部門として「リブラ工房」を設立しました。伝統的な刃物製作と並行し、フェンスや門扉、看板や手すりなど、デザインスケッチから製作までを行い、「日々の生活を面白く、豊かにするような作品作りを心掛けています」。
和紙コクーンの灯
骨格を使わず立体紙のみで作られ、まるで地球を模したような形状。
手漉きの和紙を通して灯る柔らかく温かい光が、幻想的な雰囲気を演出します。
紙漉きから成形まで、全てが手仕事なので、一点一点表情の異なる作品が生み出されます。
竹や芭蕉など、素材の美しさが詰まった手漉き和紙(写真下部の紙)も制作しています。
金刺 潤平(水俣市)
1959年、静岡県沼津市生まれ。
上智大学理工学部卒業後、派遣ボランティアで水俣へ。
作家・石牟礼道子氏の提言で手漉き和紙を始める。妻で草木染織手織布作家の宏子さんと共に、水俣浮浪雲工房を主宰。
天然素材の魅力を
最大限に引き出す作品作り
金刺さんは、妻・宏子さんと共に和綿や藍、楮(こうぞ)といった、作品作りに欠かせない素材から自分たちで栽培。それぞれの植物の魅力を引き出す作品を制作しています。「良い素材を使えば良い物ができるのは当たり前。足元に見捨てられている素材に魂を吹き込め」という、水俣病を題材にした小説を描いた作家・水上勉氏の言葉に影響を受け、竹やい草など紙漉きに不向きな素材にも挑戦しています。また、日本の紙漉きの技術を世界に広めるために、ブラジルやウズベキスタンなどへの技術普及にも尽力。「作る度に新しい発見があり、進化がある。熊本の紙文化が途絶えないよう、やり続けていく」と、夫婦共に魂のこもった作品作りを続けています。
包丁各種
家庭での調理に使う一般的な包丁は、素材もタイプも多様に揃います。
ステンレスに刃金を割り込んで作るものは錆びにくく、メンテナンスも容易。
また、腐食しにくく長く使えるよう、柄の部分に差し込む心棒にステンレス材を使用するといった工夫も施されています。
隈部 寛(美里町)
1957年、美里町(旧中央町)生まれ。
高校卒業後、職業訓練校で配管を学び、鉄工所に就職。
2年間の勤務で溶接の技術などを習得し、3代目として家業を継ぎ、刃物職人となる。
昔ながらの製法で生み出す
“丈夫で長く使える”刃物
創業は大正10年。刀匠だった祖父の代から続く昔ながらの製法を守りつつ、1本1本に思いを込めて炭火で焼入れを行い、刃金を割り込んで鍛造します。各種包丁をはじめ、鉈や鎌、鍬といった農具類、そして「寛助バサミ」として知られる園芸用のハサミなど、ここで作られる刃物の数々は、硬く締まった刃の鋭い切れ味が特徴。丈夫で長く使えるとあって、海外でも人気です。「刃物は見た目も大事ですが、大切なのは職人の技術。これが欠けているといいものは作れません。私自身もいまだに勉強中です」と隈部さん。4代目となる息子と共に、まだまだ技を磨きます。
肥後象がん フックピアス
肥後象がんの技術で魅せる流々とした曲線美とその存在感は、フォーマル、アンフォーマルでも耳元を凛とした印象にしてくれます。
2つと同じ作品ができない伝統工芸の手仕事の中で、あなただけが日常使いできる一生物として大切にお使いいただけます。
坂元 光香(熊本市)
1977年、長崎県生まれ。
中学時代に熊本へ転居。
20代前半で彫金を始め、熊本県伝統工芸館主催の後継者養成講座を受講。
河口知明、東清次両氏に師事。2006年より独立し、肥後象がん作家に。
普段使いできる象がんを通して
伝統の技術を知ってほしい
海外の旅行先で現地の工芸品などに触れたのを機に、日本の伝統的工芸品にも興味を覚えるようになったという坂元さん。趣味で彫金に取り組んでいたこともあり、熊本の伝統工芸である肥後象がんに惹かれ、後継者養成講座で学んだ後、独立しました。「自分自身で使いたいと思えるもの」を作るのが信条。伝統的な唐草模様だけでなく、クラゲなどの海洋生物、身近な猫などをモチーフに、普段使いできるアクセサリーなどで曲線の美しさや柔らかさを表現しています。「幅広い世代の方に使ってもらうことで、伝統工芸としての肥後象嵌について知る機会になれば」との思いで制作に向き合います。
家庭用料理包丁
写真左から柳刃包丁210mm、薩摩包丁165mm、三徳包丁165mm。野菜や肉、魚など、全般に使用できる万能包丁。
切れ味と耐久性に優れ、手入れをしながら末永く愛用することができます。
包丁だけで20種類以上あり、アジ切包丁やうなぎ専用包丁なども製作しています。
宮尾 幸一(水俣市)
1966年、水俣市生まれ。
1959年に父・一功さんが「宮尾刃物鍛錬所」を創業。
現在、2代目の幸一さん(長男)と次男・伸二さんが主となり製作。幸一さんの次男・千尋さんも後継者として腕を磨いている。
一丁一丁に心を込めて
“肥後”伝統の技術を受け継ぐ
肥後藩の時代から続く、伝統の割込自由鍛造の技法を継承し、鎌を始め、鉈(なた)、鍬(くわ)、包丁などを製作する「宮尾刃物鍛錬所」。鋼と鉄という異なる金属を組み合わせることで切れ味と耐久性を生み、さらに独自の工程を経ることで、薄くて軽く、しかも丈夫な刃物を作り出します。用途に合わせた異形物の刃物作りを得意とし、使い手の細かい要望にも応えます。一丁一丁、火造り(軟鉄に鋼を割り込むこと)を行うなど、手間暇を掛けている分、長く使い続けられるのが特長。宮尾さんは「父が磨き上げた技術や製作に対する情熱を継承し、時代に合った新しい刃物を作っていきたい」と、日々精進を重ねています。
きじ馬
伊勢神宮で行われる式年遷宮で御神木を運ぶ車「御木曵(おきひき)」に形がよく似ており、頭に大一(たいいつ=神様のために)の文字が書かれているのも同じです。
また、金鶏(きんけい=ミャンマーでは火除けのお守り)にも似ており、相良藩時代に起きた大火事の後に、現在のデザインに変わったといわれています
住岡 孝行(錦町)
1977年、人吉市生まれ。
会社勤めなども経験しながら、20歳の頃から本格的に父・忠嘉さんのもとで修行を積む。
現在、住岡郷土玩具製作所3代目。
※作家の来場はございません。
時代に即した感覚を大切に、
技術を継承し“本流”を残す
仏師だった初代・喜太郎さんが人吉・球磨地方に伝わる郷土玩具「きじ馬」を再興させたことから、住岡郷土玩具製作所の歴史が始まりました。男児の玩具「きじ馬」と、女児の玩具の「花手箱」や羽子板の製作に加え、箱物を得意とする孝行さんは、高い技術を要する浮造り(うづくり)仕上げの桐の姫箪笥なども手掛けます。きじ馬の伝統的製法は、朴木(ほおのき)や桐を使った一木作り。曲がった木材は市場に出ないため、孝行さん自ら山主を訪ねて探します。全国規模の工芸雑貨ブランドやアパレルブランドとのコラボレーションにも取り組み、きじ馬の認知度アップに務めます。また、デザイン・絵付け体験も子どもたちに好評です。