「小売業SDGs経営」の本質と実践
小社発刊の「月刊ストアーズレポート」で「日本株の見方」について連載していただいている渡辺林治氏(リンジーアドバイス㈱社長)の編著による「小売業の実践SDGs経営」(慶應義塾大学出版会)が6月に出版される。SDGs(持続可能な開発目標)視点の企業経営は世界的な潮流と化している。百貨店をはじめ多くの小売業、並びに取引先企業も例外ではない。既に多くの小売企業で取り組んでいるが、SDGsが企業経営とどのような関係があるのか、実際に業績に結びつくのか、本気で取り組むべきなのか、試行錯誤の段階だ。発刊を前に、きっかけや本書の内容、百貨店・小売業界に対する思い入れを渡辺氏に聞いた。
■本書を書こうと思われたきっかけは何でしょうか。
渡辺 新型コロナウイルス感染症が発症した2019年末頃です。20年に入り日本でも広がりましたが、百貨店にお客様が来店し難くなりましたし、訪日外国人のお客様も急激に減りました。私は普段から世界の経済や金融、消費動向を分析していますが、歴史の観点から新型コロナウイルス感染症の収束まで2年以上かかるだろうと思いました。コロナ禍から百貨店が回復するために、これまで百貨店や小売業の業界にお世話になってきた者として、何かできることはないだろうかと考えました。
百貨店が社会からこれまで以上の信頼を得て、全てのステークホルダーから支持されることが必要だと思いました。私は慶應義塾大学で企業の社会性、小売業の経営を長年研究してきました。わかったことは業績回復には企業の社会性が必要条件だということです。
百貨店は歴史のある企業ばかりで、松坂屋が1611年、三越が1673年、大丸が1717年、高島屋が1831年、伊勢丹が1886年に創業されています。社史を拝見したところ、コロナ禍以上の社会的危機、経営危機を幾度も乗り越えられていますし、各社の社是や理念には、企業の社会性が経営に深く根付いていることがわかりました。
ところで月刊ストアーズレポートで2年程前に百貨店のCSRについて特集されていましたが(19年2月号)、改めて読み返しますと、トップマネジメントが必ずしも明確な意識と戦略をもって取り組んでいたわけではない印象を受けました。しかしながらここ2、3年で経営トップの意識が大きく変わってきています。大手百貨店ではアナリスト向けにサステナビリティ説明会を開くようになりましたし、コロナ禍で「社会的役割の発揮なくして百貨店の再建はない」とおっしゃる経営トップもいらっしゃいます。
2022年は「SDGs経営元年」
■コロナ禍で百貨店を取り巻く環境は激変しましたし、営業損失を強いられ、コロナ禍前の水準までの業績回復が問われています。
渡辺 ご承知でしょうが、今年4月から東京証券取引所の市場区分が再編されました。大手百貨店は海外の投資家も注目しているプライム企業に属していますが、ここではSDGsを含め非財務情報の開示への要求も厳しくなります。本書を書き始めた2年程前の時点ではここまで変わるとは思いませんでしたが、もはやSDGs経営は社会の潮流と化し、百貨店や小売企業だけなく、その取引先企業、そして消費者もこの潮流の中にいます。2022年は百貨店・小売業にとって「SDGs経営元年」であろうと、私は位置付けています。
■そもそも小売業のSDGs経営とは何でしょうか。
渡辺 本書ではSDGsを含めた小売業の社会性を「長期で維持発展するため、すべてのステークホルダーとの関係を、責任をもって維持強化させる取り組み」と定義しています。小売業の社会性は、SDGsが叫ばれだした昨今に始まったものではなく、長い歴史を刻んできているのです。例えば、松坂屋は「諸悪莫作、衆善奉行」(諸悪を犯すなかれ、善行を行え)、大丸は「先義後利」(義を先にして利を後にする者は栄える)を社是にしています。今の言葉に言い換えると「社会貢献・お客様第一主義」、そして「すべてのステークホルダーを考え行動することが事業の発展に繋がる」ということです。多くの百貨店は創業から今日まで、ステークホルダーを意識して社会からの信用や信頼を大切にしながら事業活動を続け、長年にわたりSDGs経営を実践されてきました。つまりSDGsは「新しく見えて実は古い」ものです。
ただ、これまでと明らかに異なるのは情報開示(アピール)の仕方です。日本人、日本の社会は、良いことをするのは当たり前で、人にわざわざ言うことでもないし、それをはしたないと考えるのが一般的な気質だと思います。しかしながらSDGsは2015年9月の国連サミットで、2030年までの国際目標として採択されました。もはや子供の教育現場でSDGsについて語られるようになり、学生の就職活動でも企業のSDGsへの取り組みが就職先の条件になっています。消費者のSDGsへの意識や行動も徐々に醸成されてきています。そして株主や投資家もSDGsへの取り組みを重視するようになっています。これまで日本の企業が積極的でなかった情報開示が求められるようになっているのです。
成功に導くロジックの3段階
■どのように情報開示すればよいのでしょうか。
渡辺 百貨店では全国展開している企業と地元密着型の企業がありますが、各々企業の特徴に応じたアピールの仕方があると思います。SDGs経営を成功に導くためには、ロジックと手法が大事になります。
ロジックには3段階のステップがあります。第1段階はトップがSDGs経営を決意し、方針を打ち出し、それを社内に浸透させる。第2段階はSDGs・社会性の視点を経営戦略に融合させた「SDGs戦略」を策定し、推進していく。そして第3段階がSDGs戦略を具体化した競争力の強化です。戦略を具体的に小売の経営にとって重要な店舗、商品、接客サービスに落とし込む段階です。
第2段階ではステークホルダーとの関係の強化がポイントで、ここでは特に従業員、地域社会、環境への配慮の視点が大切です。また、SDGsの視点は長期の維持発展にとって必要条件ですが、これだけでは企業は強くなりません。当然ながら、百貨店や小売業では多くのお客様に店舗に買い物に来てもらわなければなりません。消費者や競合といった事業環境の変化を汲み取り、SDGs戦略を競争力の源泉である店舗、商品、接客サービスに落とし込んで、競争力の強化が上手く進めば、収益性が改善し、社会性もより発揮され、長期の維持発展が実現できるのです。
問われる情報開示の手法
■こうしたロジックを情報開示していく手法も大事になるわけですね。
渡辺 はい。情報開示の手法は大事です。手法の一つに統合報告書がありますが、百貨店の現在の統合報告書は経営戦略の中でのSDGs戦略の位置付け、あるいは館の競争力や業績にどう繋がるかの説明が不足しているという印象をもちました。
私が「三田評論」(慶應義塾機関誌)の企画で座談会に出席した時、東京証券取引所の企業情報開示の責任者の方が参加されていまして、企業が投資家を含めたステークホルダーに向けて、ロジックをもってわかりやすく説明することの大切さを滔々と述べられていました。
本書を執筆する際、統計的な分析手法を用いて統合報告書を公表している企業とそうでない企業の競争力を分析しましたが、公表している企業の方が高い競争力をもっていることが明らかになりました。こうしたデータ分析と共に、具体的にどのように情報開示すると競争力の強化に結びつくのかを本書で説明しています。
■統合報告書やウェブサイトでの情報開示の仕方や内容は、試行錯誤しながら取り組んでいるのが現状でしょうか。
渡辺 情報開示はまずやることが先決です。統合報告書は実際に作っていくと社内の能力が高まりますし、やればやるほど内容も良くなってきます。今、SDGsで評判が高くなくても、適切な情報開示をして改善されていくと、あっという間に社外からの評価が上がっていくでしょう。今から始められても決して遅くありません。
「小売業の実践SDGs経営」は、その基礎知識から、データ分析、そして具体的な進め方の事例まで網羅しています。コロナ禍が収束し、株価も上がり、百貨店に国内外からお客様が戻り、業績が回復していく。消費者との接点に立つ百貨店をはじめ小売業がSDGsに取り組まれると、それが流通、生産者、消費者の行動に波及し、社会全体で持続可能な発展への活動が促進されます。ですから百貨店はSDGsの推進役にもなり得るのです。そして日本の百貨店の良さを世界の人たちに知ってもらいたい。情報発信することも、SDGs時代における百貨店の社会的責任の1つです。
それをどう伝えるか、そのロジックと手法について書きました。
百貨店がSDGs経営を進めることで、これからも長期の維持発展を実践しながら、お客様、従業員、株主、取引先の笑顔があふれる百貨店であり続けていただきたいと願っています。
※なお、「小売業の実践SDGs経営」に関心のある読者、先着50名に本書を進呈します。弊社HPお問合せフォーム https://www.stores.co.jp/contact よりご応募ください。
その際、お問い合わせ内容欄に「小売業の実践SDGs経営」希望と忘れずにご記載ください。
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<渡辺林治氏プロフィール>
リンジーアドバイス代表、東京大学医学系研究科特任講師、博士(商学)慶應義塾大学。企業経営と金融財務をコンサルティングするリンジーアドバイスを2009年に創業し、現在は東京大学で健康ウェルビーイング経営を研究中。プライム企業の社外取締役として指名委員会・報酬委員会委員長を兼任。専門は小売経営、企業経営、金融財務、IR、経済分析、サステナビリティ。
問い合わせ先:rinji@rinjiadvice.com