森ビル、「逃げ出す街から、逃げ込める街」へ防災拠点の構築を加速
震災対策は災害多発国である日本の最重要かつ喫緊のテーマだ。人々の命と財産を守る上でも、世界から人・モノ・金・情報を集める上でも「災害に強い都市への再生」は欠かせない。森ビルでは都市づくりのテーマの1つに「安全・安心」を掲げ、「逃げ出す街から、逃げ込める街へ」のコンセプトの下、開発地域だけでなく周辺地域にも貢献できる防災拠点の構築を目指してきた。逃げ込める街の実現に向けた森ビルの震災対策を紹介する。
森ビルは「関東大震災」、「阪神・淡路大震災」、「新潟県中越地震」などの大震災の教訓を生かした都市づくりを進めてきた。東京は関東大震災と太平洋戦争によって、短期間に2度も壊滅状態となった。森ビル創業者の森泰吉郎氏はその復興の過程で燃えない・壊れない建物の必要性を強く実感。災害に強い堅固なビルを建て、貸しビル業を始めようと1955年に森ビルの前身となる森不動産を設立した。
周囲は戦災復興時に応急的に建てられた木造低層家屋ばかりだった。当時は鉄筋コンクリート造りのビルを建てるノウハウを持つ建設会社はほとんどなく、ノウハウを有する数少ない建築設計者にアドバイスを受けながら56年に最初の賃貸ビル「西新橋2森ビル」を竣工させた。当時は珍しかった鉄筋コンクリート造りの同ビルはその高い耐震性を外国企業に評価され、フランスの香水会社やインドの通信会社、米国オレゴン州の小麦生産者連盟などが入居した。
95年1月17日に「阪神・淡路大震災」が発生。直下型巨大地震の破壊力を目の当たりにした衝撃は非常に大きかった。森ビルでは設計部員を現地に派遣して調査を行い、当時まさに計画中であった六本木ヒルズの再開発事業にも大きな影響をもたらした。六本木ヒルズ森タワーは当初より高い地震性能を備える計画だったものの、さらに耐震性を向上させるため、より高度な制振装置である粘性系の「セミアクティブオイルダンパー」と、鋼材系の「アンボンドブレース」の計約550基の導入を決定。以降、大型ビルにおいて現行の建築基準法で定められた基準を上回る森ビル独自の高い耐震基準を採用している。
さらに、阪神・淡路大震災でも被害を受けなかった「都市(中圧)ガス」を利用した自家発電プラントを地下6階に設置するなど、大規模な首都圏直下型地震を想定し、改めて六本木ヒルズの計画全体を練り直した。
2004年10月の新潟県中越地震の際、震源地から遠く離れた東京都内の超高層ビルで、長周期振動によりエレベーター昇降路内のロープが共振し、一部が損傷するなどの故障が発生した。この事態を受け、森ビルではエレベーターメーカー各社と共に改善を検討。エレベーター昇降路内ロープの引っ掛かり防止対策を図るとともに、六本木ヒルズ森タワーに独自に2種類の検知システムを組み合わせる方式で、世界初のエレベーター長周期地震動管制システムを実現した。これにより既往の地震管制システムが反応しないほど揺れが小さい長周期成分を含む地震でも、エレベーターの安全停止や閉じ込め停止、早期復旧を可能とした。
また、逃げ込める街を実現するためには建物のハード面だけでなく、ソフト面での取り組みも不可欠と判断。「森ビル社員による震災復旧体制の構築」や「民間最大規模の食品の備蓄」にも取り組んでいる。前者は有事の際に森ビルの全社員、約1600人が迅速な復旧活動を行うことで街の人々の生活やテナント企業における事業継続を支援できるよう、年に2回の頻度で全社員による大規模な総合震災訓練を実施している。
夜間もしくは休日などの就業時間外に災害が発生した際でも迅速な初動対応を可能とするため、事業エリアの2・5km圏内に複数の防災要員社宅や管理部員用社宅を設置。居住者である防災要員にも定期的な特別訓練を行うなど、日頃から災害発生を想定した準備を徹底している。
後者は阪神・淡路大震災以降、備蓄倉庫を新設。災害時必要となる食料や備品などの備蓄を開始した。現在では民間最大規模となる約28万食(うち六本木ヒルズに10万食)の食料に加えて、災害時に必要となる毛布、医薬品、資機材、簡易トイレなどを施設ごとに備蓄している。このうち来街者(帰宅困難者)用には1人当たり9食分(1日3食、3日分)の計約10万食を用意。1日当たり約1600~1700kcalの栄養が確保できるようにしている。
こうした一連の取り組みは、11年3月に発生した東日本大震災で大きな効果を発揮した。六本木ヒルズでは制振装置などのハード面の対策により、51階の六本木ヒルズクラブのレストランでもグラス1つ割れなかった。震災後は東京電力による計画停電が行われたが、都市ガスを利用した発電・電気供給を止めることなく、街の人々の生活と事業の継続を実現。一般家庭で約1100世帯分の消費電力、約4000kW(夜間は3000kW)相当の節電分の電力および余剰電力を、消費電力不足に陥っていた東京電力に提供した。
さらに、都心部を中心に大量の帰宅困難者が発生したことを踏まえ、港区から約200人の帰宅困難者の受け入れ要請があり、即座に承諾。オフィステナントの帰宅困難者も合わせて、震災備蓄品から約1500人分の飲料水・非常食、約550人分の毛布を配布した。東日本大震災以降には港区と協定を締結。森ビル関連施設全体で約1万人の帰宅困難者を受け入れる体制を整えている。
森ビルは東日本大震災後に2つのシステムを導入している。1つは建物の被災度を即座に推測するシステム。東日本大震災の際、建物の安全性を確認するため担当者が物件を点検して回る必要があり、非常に時間を要した。この課題を解決するために、建物に設置した地震計が計測したデータを基に、建物の被災度が即座に一次判定できるシステム「e-Daps」を独自開発し、13年8月に六本木ヒルズで運用を開始した。発災とともに建物の安全を即座に判定し、テナントや居住者への安全・安心の確保に加え、帰宅困難者の受け入れも、より迅速になった。
2つ目は都市ガスによる非常用発電システムで、東日本大震災を経て「アークヒルズ仙石山森タワー」が竣工前に設計を変更。震災などによる停電時に都市(中圧)ガスによる自家発電で電力を供給し、入居企業の通常業務を継続可能とする非常用発電システムを導入した。これにより非常時にも通常時の約85%の電力需要を賄える電力供給体制が構築され、一般的なハイグレードビルを上回る非常に高い信頼性が担保されることで企業のBCPの支えになっている。
こうした仕組みは森ビルの最新の開発にも生かされており、23年に開業する「麻布台ヒルズ」においては、A街区の地下にコージェネレーションシステム(熱電供給)と地域冷暖房施設を導入予定。各街区にも非常用発電機を設置し、災害に強い中圧ガスを使用することで、災害時においても街全体で必要な電力を100%安定的に供給できる。
(塚井明彦)