2024年11月22日

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松屋、新社長に創業家出身の古屋毅彦氏

松屋 

新社長に内定した古屋専務(左)と秋田社長

松屋は12日に取締役会を開き、3月1日付で古屋毅彦代表取締役専務執行役員が代表取締役社長執行役員に昇格する人事を内定した。松屋がトップを交代するのは約16年ぶりで、2007年5月から現任の秋田正紀代表取締役社長執行役員は代表権のない取締役会長兼取締役会議長に就く。古屋毅彦氏は同社の創業家の出身で、初代の古屋德兵衛氏から数えて5代目、松屋の社長としては9代目となる。

同社は同日に記者会見を実施。秋田社長は「新型コロナウイルス禍で厳しい経営環境が続いたが、構造改革を推し進めてきた結果、業績は大きく改善した。より成長を図っていく上では良いタイミング。古屋新社長は経営の全般を統括し、私は取締役会をリードするとともに、独立した立場で監督および監視していく。当社はESG経営を掲げており、役割の明確化でスピード感のある経営を目指す」と“バトンタッチ”の理由を説明した。

バトンを引き継ぐ古屋専務は「身が引き締まる思い。(秋田社長が培ってきた)良い部分を守りながら、2022年度(22年3月~23年2月)からの中期経営計画で掲げたミッション『未来に希望の火を灯す、全てのステークホルダーが幸せになれる場を創造する』の実現へ頑張っていく。変化の激しい時代だが、大変やりがいを感じる。新しい挑戦が楽しみ」と意欲を燃やした。

古屋専務は創業者から5代目にあたり、松屋や百貨店に対する想いは強い。「子供の頃から身近な存在。屋上、おもちゃ売場で遊んだ記憶がたくさんある。私にとって百貨店=松屋だし、自分の半身といえる存在。30代前半を米ニューヨークで過ごし、大学院にも通ったが、ある教授から『君達は世界を良くするためにきている』と言われ、感銘を受けた。そして『百貨店を通じて世界に貢献を』と、ずっと考えてきた。日本は物質的には豊かだが、幸福度は世界的に高くない。小売業は平和産業であり、百貨店には幸福をつなぐ力がある。松屋は銀座から未来、希望をつなぐ。百貨店を一生懸命に、真面目に突き詰める」と力を込めた。

続けて「(松屋を)個性ある、唯一無二の店にしたい。人財と現場を大事に、社員が力を最大限に発揮できる環境を整備する。皆でお客様の方を向いてやっていけるように組織を変化させ、楽しい百貨店をつくっていきたい」と方針を示した。

古屋専務は01年7月に入社。本店長を務めた13年3月~18年2月末には銀座店の大規模改装を主導し、近年はグループ各社の事業再編や不動産事業の拡大に尽力してきた。

なお、記者会見での一問一答は以下の通り。

――(秋田社長に)社長交代を決めた理由と古屋専務を指名した理由は。

コロナ禍の影響で人々の価値観や行動様式が大きく変化した。当社の経営は厳しかったが、ようやく反転攻勢への態勢が整い、新しいトップの下でチャレンジを――と考えた。古屋専務は(22年3月から)社長補佐を務めてきたが、責任感があり、何事にも真面目で丁寧。公平性も持っている。

――(古屋専務に)新社長として最初に取り組みたい課題は。

祖父や父の時代と(取り巻く環境は)違うし、この10~15年でも変化している。ビジネスモデルから揺らぐところがある。同業他社を見ても、百貨店事業以外の柱の確立、デジタル化、外商の強化は大事。どれもやっていくが、銀座店は立地が最大の資産。人財の力も大きい。組織変化には必ず取り組みたいが、即効性という面ではデジタル化やCRM、外商などにまだまだ改善の余地がある。

――(秋田社長に)在任中の1番の思い出は。

就任した直後に「リーマンショック」が起き、11年には東日本大震災、そしてコロナ禍もあった。震災後は営業していいのか悩んだ。それが記憶に残っている。最終的に営業し、その決断が良かったのかどうかも悩んだが、お客様に喜んでいただけて、やりがいを感じた。

――(古屋専務に)これまで取り組んできた事業について、もう少し具体的に振り返ってほしい。

専門店事業の拡大に注力してきたが、勉強になったし、銀座インズは1つの柱に育った。チャレンジだったのは、銀座店の2階へのラグジュアリーブランドの集積。今も好調で、インバウンドも多いが、何よりラグジュアリーブランドの人々とネットワークができたのは大きい。不動産事業については粘り強い性格が役立った。

――(古屋専務に)銀座にある百貨店の意義と今後の可能性は。

百貨店の街における立ち位置は非常に重要と信じている。商品やサービス、ホスピタリティを通じて、銀座を代表する、銀座の象徴となる店を目指し、街(の事業者ら)と一緒に盛り上げていく。なるべく中心的な役割を果たしたい。

――(秋田社長に)回復していくインバウンドをどう取り込むか。

日本人の売上げは好調で、インバウンドも回復基調にあるが、これまでの反動や為替などの外的要因が大きい。それらがなくても問題ない経営、体力を培わなければならない。その方法としては、お客様のニーズを先取りする。コロナ禍で取引先も疲弊しており、新しい取引先や商品を開拓していかなければならない。

――(古屋専務に)足元の景気をどう見ており、どう手を打っていくか。

予想は難しい。ただ、悲観はしていない。ツーリズムは想定より早く回復してきた。価値をしっかり提供していけば、お客様は来てくれる。それは国内外を問わない。そのニーズを見ていかなければならず、ゆえにCRMは重要だ。

――(古屋専務に)海外での経験は、どう生かせるか。

ニューヨークで6年間を過ごし、最後の2年間は大学院に通ったが、グローバル組織のマネジメントを専攻した。私にとっては内容よりも、そこにいた人々が価値だ。国費で来ている人、紛争地帯から来た人など様々だった。他方、小売業はお客様との接点が多い。例えば、当社はクリスマスにチャリティピンバッジを販売するが、お客様に紹介して収益を寄付し、図書館が建つ。接点によって、お客様に色々と伝えられるのが小売業。百貨店は社会の公器だが、ビジネスとして成長しないと意味がない。それを学んだのもニューヨークだ。

――(古屋専務に)新しいトップとして、時に秋田社長の施策を否定しなければならない。敢えて挙げるなら何か。また、自身の短所をどう捉えているか。

まず、話が長いのが短所だ。秋田社長の否定というよりは、積み上げてきたモノを部分的にリノベーションしつつアップデートしていくのは企業文化。未来に向けて、若い世代の感覚や意見を聞いていく。コロナ禍や戦争の世の中で、どう子供達の世代につないでいくか。未来につながるような変化をもたらしたい。

※ここで、秋田社長がフォロー

コロナ禍によって価値観や行動様式は大きく変わった。(3月1日以降)私は代表権を持たないので、どんどん否定してほしい(笑)。

――(古屋専務に)若者の百貨店離れをどう防ぐか。

そもそも、過去の百貨店は若い世代を取っていたのか。ファミリーではないのか。一方で、ラグジュアリーブランドに引っ張られる形で20~30代のお客様が増えている。(中心顧客と)バランスを大事にしつつ、若者を取り込んでいく。

――(古屋専務に)百貨店事業以外の柱の確立が大事と述べたが、具体的には何か。

不動産事業だ。(具体的な戦略は)まだ議論中だが、(災害や疫病、戦争など)何か起きると百貨店の売上げは大きく減少する。そのリスクを軽減できるようにしたい。不動産事業は百貨店事業に比べて、もう少しリードタイムがある

――(古屋専務に)子供の頃から見てきた松屋の強み、良さは何か。

「人」だ。ずっと銀座と浅草で社会人をしてきたが、そこは強みだと思う。一方で、もっともっと世界を見る会社にしたい。(銀座という)立地も素晴らしい。この場所を守ってきてくれた先達に感謝したい。

古屋毅彦(ふるや・たけひこ)氏略歴

1973年8月17日生まれ、49歳。

1996年3月学習院大法学部卒

1996年4月東京三菱銀行(現三菱UFJ銀行)入行

2001年7月松屋入社

2011年5月取締役執行役員

2013年3月取締役執行役員本店長

2015年5月取締役常務執行役員営業本部長兼本店長

2019年5月取締役専務執行役員グループ政策部・事業戦略室・経理部担当

2022年3月代表取締役専務執行役員社長補佐兼経営企画室長兼経理部管掌兼環境マネジメント部担当

 

(野間智朗)